20160214

『田園に死す』



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 みなさま、はじめまして。私、岡田英樹と申します。小倉生まれの53歳です。この度、牧野さんから何かエッセイを書いてほしいと頼まれましたので、僭越ながら書かせてもらっています。
 牧野さんとは北九州で映画の自主上映を行っている「北九州映画サークル」が縁で知り合うことができました。ちなみに私はそこで運営委員をやっています。そういったわけで今回は私が映画にのめり込むきっかけとなった映画について書かせて頂こうと思います。
 私が一人で映画館に通うようになったのは、東京の大学に入ってからです。1980年代のことです。さすがに東京は映画館、しかも名画座だらけです。2本立て、3本立て、またはオールナイトなど安い料金で昔の映画がいっぱい見られるので、私もだんだんと映画の魅力にハマっていきました。
 当時の私はソビエトのタルコフスキーや、フランスのゴダールやトリフォーといったいわゆるヌーヴェルバーグの映画などをよく観ていました。まあ若かったから、多少分らなくても先鋭的な映画を多く見てやろうといった気概はあったと思います。いわゆる洋画ファンでした。
 そんなある日、運命を変える一本に出会いました。それは洋画ではなく、「田園に死す」という1974年に寺山修司が監督した青森の恐山を舞台にした日本映画です。
 私はこの映画に何だか分らないけれども、ものすごい衝撃を受けました。言葉ではうまく説明できないのですが、何か見てはいけない世界の入口を垣間見たような気がしたのです。
 とにかく見終わってからは、いてもたってもいられないような焦燥感に駆られ、「そうだ!この映画の舞台となっている恐山に行こう!」と咄嗟に思いつきました。調べてみますと東京からは青森行きの「急行八甲田」という夜行列車が出ています。これが一番安く行けそうな方法です。もちろん寝台なんかじゃなくて座席で雑魚寝です。私はリュックに寝袋だけいれて、夜行列車に飛び乗りました。(今から思うと自分の事ながら若い時のこの行動力は羨ましいです)
 私は大学で初めて東京に行きましたが、生まれも育ちも小倉で福岡からはほとんど出たこともない根っからの九州男児なので、東北、しかも青森の下北半島なんて見るもの聞くもの驚きの連続です。地元のおばあちゃんの会話とかは本当にほとんど聞き取れなかったですし、まさに外国のようでした。そして恐山は映画で見た以上に霊場としての雰囲気がありました。イタコには残念ながら会えなかったのですが、黄泉の国との境界のようなものが感じ取れる場所だと思います。そこからはなんだかんだと、下北半島、津軽半島と、青森を一週間くらい旅してまわりました。
 私はこの青森行きですっかり旅をすることの魅力にハマり、また霊場のような場所にも興味を持ったので、その後も高野山とか比叡山とか旅してまわりました。しかしやはり恐山ほどのインパクトはなかったため、こうなればもう外国に行くしかないと思ったのです。
 大学の在学中に中国やチベット、また卒業してからもインドなどのアジア諸国、そしてヨーロッパやアフリカまで放浪するようになったのですが、まあ、その話はまたいつか機会がありましたら。
 そんなわけで、この「田園に死す」は私にとって映画にハマる(人生を踏み外す)きっかけとなった映画です。なんと罪作りな。(笑)





(何有荘アートギャラリーHPに寄稿)