20180420

『真白の恋』 ラストシーンの意味について



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 3月例会「真白の恋」は如何でしたでしょうか?この映画は2016年の奈良国際映画祭で観客賞を受賞した作品です。
 ところが私が福岡で観たとき観客は私一人だけでした。こんなにすばらしい映画なのに邦画の現状はこんなものかと愕然とし、こういった作品こそ映画サークルでやらなくてはと思い、代表者会議で推薦して例会に選ばれた次第です。その甲斐あってか、多くの称賛の意見を頂き、この映画を例会にできて本当に良かったと思っています。
 ところでこの作品は、「真白の初恋を描き、そしてその恋は叶わなかったけれども、今後もがんばっていく」といった話なのでしょうか?
 確かに立山に登り朝日を見るシーンで終わっていたなら、そうなのだと思います。しかし映画には最後に後日談のようなシーンがあります。
 まず、お父さんが「母さん、髪につけるのは?」と尋ねるシーン。これは映画の冒頭のお兄さんの結婚式の朝のシーンと全く同じです。髪にポマードのようなものをつけるということは、また誰かの結婚式なのでしょうか?お父さんはすごく嬉しそうです。
 次のシーンは映画の最後の台詞にもなるのですが、美容院でいとこのお姉さんが「私もそろそろ結婚したくなっちゃった。もうお金と髪があれば誰でもいいや」と自嘲気味にお客に言うシーンです。しかしこれは映画の最後の台詞としては何かおかしくありませんか?また彼女はなぜ急にそんな心境になったのでしょう?
 そしてラストは真白が幸せそうに犬の散歩をするシーンで終わっています。
 私は初めこれらのシーンの意味がよく分らなかったのですが、今度見返してこのラストにはある願いが込められていると確信しました。
 まず前提として真白とカメラマンの油井はお互い嫌いになって別れた訳ではなく、周りの誤解から引き離されたということです。台詞はありませんが、謝りに来た油井を初めて見たお父さんは、自分は誤解していたのかもしれないといった表情を見せます。油井を殴ってしまったお兄さんのその後も映画では描かれていません。しかしここからは想像ですが、お父さんもお兄さんも実直であるがゆえに自分が誤解していたと分ったら、このままでは気持ちが収まらないのではないでしょうか。彼をもう一度呼んでもらい、謝りたいと思うのではないでしょうか。また映画では油井は東京での仕事があまり上手くいっていないことが暗示されています。なんだかこの映画は周到に収まるべき地点を用意しているように思えます。お兄さんは結婚して長男なのに家を出ています。真白の両親にとって一番の理想は婿養子を家に迎えることでは・・
 もう一度ラストのシーンを振り返ってみましょう。冒頭と同じ結婚式の朝のシーンは、これはもう真白の結婚式ではないでしょうか。そうでないと最後にこのシーンを入れる意味が分りません。そしてそれでこそ、いとこのお姉さんがその幸せな結婚式を見た後の気持ちとして、「私も結婚したくなっちゃった」という最後の台詞に繋がります。そしてラストで真白があれだけ幸せそうなのは家に帰ると彼が待っているからではないでしょうか。
 この「真白の恋」という話は脚本の北川亜矢子さんが知的障がいを持つ実弟をモデルとして書き上げた作品だということです。だから幸せになってほしいという願いが込められていると思うのです。
 富山の地で真白と油井は幸せに暮らしている。私はそう思っているのですが、みなさまいかがでしょうか?





(北九州の泉 2018年5月号搭載)